ぎゃらりぃ07 june03 在来種との主張

本質的に性質の似てる集まりを種(エイドス)とし
互いに似た種類の集まりを類(ゲノス)と定める。
アリストテレス(ギリシャ哲学者 紀元前四世紀)

日本の岩魚の正体は? 未だに結論をみない

このテーマは その研究に一生を捧げた大家

数人による発言をみたい

田中茂穂博士:日本国内の岩魚を只一種とする

大島正満博士:1961年 ニッコウヤマトを差別化
国内に五種の岩魚論

今西錦司博士:住み分け理論あてはめた末の
オショロコマ 本州岩魚ニ種説

世界で40種を越える 岩魚の代表的なものは

カワマス レイクトラウト アルプスイワナで

ここでその中心勢力とされる 北極海周辺に広く

分布する14の系統を持つアルプスイワナ その

仲間とされる 北太平洋一帯を領域とする11の

系統を有するオショロコマに挙げられます つまり

この国のイワナの幹は オショロコマとその亜種

により生態系を2.3分化してるとの説が 一時期

大勢を占めたようですが 種と見分ける 客観的

根拠 決定的な形質が中々見つからないと云う

分類学上厄介な特性を抱え 更には1983年に

北大久保達雄博士による 北海道の生態を除き

アメマス ニッコウ ゴキ ヤマトとの4系統群(種)

との説が 世界で最も進化を遂げた この国の

岩魚を語るに妥当な分け方 これが定説とされて

居るようです


根尾谷の在来種 特徴的なアマゴとヤマト1978年頃

同じく本流のサンプル1980年頃

成長したヤマト(本流タイプ)1970年代後半
↑画像三点は全て当時の大河原上本流にて

今回の探索で確保したサンプル画像 2007.6.3

今回の調査にて本流で数釣れたニッコウ岩魚2007

その近辺で釣れたサンプル 画像だけでは判別付かず2007

下流部本流で出た個体 尾鰭の形状が近く見える2007

別水系のサンプル(神崎川)形状は近いが白斑がきっちり丸く?或は交雑か2007
此処に来て 岩魚の種につき熱く論ぜられる場が目に付く 多様な見解学説が残り 別個の生態系を有する

北海道を除けば 此処で論ぜられる事の多くは ニッコウ ヤマトの生息域線引き色分けと成って来るのでしょう

先ず此れを差別化されたのは あの大島説によるもので 生息範囲として 東は富士川 本州の分水嶺背骨を

西進 琵琶湖を東西に分け(東岸がヤマト) ヤマトの類とされる紀州キリクチの生息地までの中部地区一帯と

成されております しかしその基準が怪しく成り出したのが そもそも岩魚に対しての養殖技術の確立によって

(これは当初 白山水系のニッコウ岩魚が主だったようです) 漁協による 商業目的不見識な放流に有った事は

明白で 渓によっては丸ごと血の入れ替わり 或は交雑が進み 種の論議さえ無意味化して居るようです

ヤマト岩魚への個体判断には 主にニッコウに目立つ白斑の小型化 形がダブったり滲んだりの曖昧さが上げられ

此れは成長し大型化すると更に目立たなくなるか 消え去ってしまう個体が多いようです 体側の中心線に添う

橙班の有無とも合わせ述べられますが 生息環境等による 例外も多く 同一種にても個体差が著しく 其れのみに

ての差別化に走るのは 懐疑的な思いをずっと抱いて居ました  今回の探索行とは舞台は又違うのですが

ヤマト域 西の限界と定められる 琵琶湖東岸河川の鈴鹿山脈に駆け上る各流域には 場所によって白班の目立つ

一見してヤマトとは見えないグループも 外部形態的な班紋以外 鱗の配列数とかの 専門家による見極めが

必要と成るのかもしれません  大島説が何故生息域の線引き色分けが可能だったか ずぅと其処が疑問でした

此れは彼等が陸封される以前 その侵入ルートに有るようで 人類の生業とかけ離れた大きな時の流を経ての

現状があるようです しかし何故養殖成されたのが ヤマトでは無くニッコウだったのでしょう? その秘密はやはり

思ったとおり 生存率に有りました ヤマトは孵化後の歩留まりが極めて悪く これが彼等を少数派へと追い詰める

一因に成った事は疑う余地が有りません  科学的専門的な判断基準を持ち合わせぬ我々が 何を基準に差別化を

測るかと云うと 長い間同じ事を続けて居るとこれ 役に立つ事も有るもので 人為的種への介在 生息する筈無い

個体が運ばれ放たれるその前 手付かずの自然溢れんばかりに群れていた 在来種の姿を知る自らの記憶が

役に立つのではないか? そんな思い付きの中今回の探索行は企画されました
諦めかけたその時に

白斑が目立たず曖昧さ その形状の崩れ加減から在来種ヤマトと思われる
色調は周囲の植生に反応して変化が大きく 頭部尾鰭の付け根に特徴が2007根尾西谷K谷にて
終わりに

今回の探索行 舞台と成った根尾西谷で30年ばかり振り返ると 当時此処での釣に関しターゲットとし狙っていたのは

岩魚では無く 荒瀬の中を踊るアマゴとの攻防 そこに全て占められていた筈 しかし何故でしょう?  歳を重ね

遠い昔の出来事を思い返す時 浮かんでくるのは のっそり野暮ったく釣れ上がる岩魚の姿で 其れが今論議を呼ぶ

種とは思いつきさえしなかった 差別化便宜上ヤマトと表現してますが 在来種岩魚 この表現が一番似合うのでは

今回の根尾谷源流域は 大島説によると種の境界線ぎりぎりの処にあります 次の目標”稜線を越えた岩魚”に向け

動き出します 最後に 私的な疑問確認その探索にご協力頂きました釣友各位へ只々感謝  2007.6.3

                                                               oozeki